おんじょどいの小屋

中学校時代の思い出

ラ・サール中学校入学

合格が決まって嬉しい反面、漠然とした不安も感じた。それは学費が払えるのかという心配だった。
その頃は経済的にかなり困窮していたからだが、近所の人も同じ心配をしていたとみえて、隣の履物問屋のご主人から学費援助の申し出があったくらいだ。
もちろん気位の高い母は断ったようだ。
案の定、在学中に何度か学費滞納で事務所に呼び出された。

それでもなんとか入学の準備も整い通学することになったが、次の問題は通学手段だ。
家からラ・サールまでは10Kmくらいあるが、電車通学では定期代が嵩むので自転車通学することにした。
その自転車というものが商売用で使っていた、スタンドが頑丈で大きなものだったので、学校の自転車置場では出来るだけ目立たないところに置くようにした。

入学式

入学式

成績

ラ・サールでは入学試験の成績順位でクラスのいろいろな委員を決めることになっていたようで、私も最初は清掃委員に選ばれた。
後で担任に聞いた話では全体の10位で合格したとのことだった。
ラ・サールはガリ勉向きの学校で、元々勉強嫌いの私が入るべき学校ではなかったのかもしれない。
成績は段々下がっていき、一年を待たずして劣等生の仲間入り。成績は下から数えるほうが早くなった。
劣等生仲間の中には公立中学校に転校するものもいて、入学時には114名だったのがラ・サール高校に進学したのは100名足らずとなった。

クラスメイト

中学校での楽しい思い出は一つもない。
友情を育むような親友も出来なかった。
ラ・サールではクラスメイトは皆競争相手であって、親友には成り得なかった。
表面上は怠けているようなフリをしてみんなを油断させ、裏では猛勉強してクラスメイトを出し抜こうというような手合いばかりだった。

名山小学校から一緒に合格したI君とT君も、ラ・サール受験のための補修授業や合宿を一緒に頑張った仲間だったが、 入学後は何かよそよそしくなって言葉を交わすことも少なくなった。
ある日、T君とふざけてプロレス技のかけ合いををしていたら段々興奮してきて、本気の喧嘩になってとうとう仲違いしてしまった。

テレビ

中学1年の秋頃鴨池町に引っ越したが、その頃家のテレビは質屋に行ったり来たりだったのでプロレスの中継のある日は近くの鴨池空港に見に行っていた。
空港の待合室に大きなテレビが置いてあって、夜は宿直の人がそれを見ていた。
もちろん中には入れないので、外からこっそり覗いていたわけだ。
何故そんなバカみたいなことをやってたかというと、クラスメイトとの雑談で決まって当時英雄視されていた力道山の話題が出ていたので話を合わせる必要があったからだ。
家にテレビがないなんて言えないではないか。

イジメ

中学2年のときは陰湿なイジメに合った。
成績のことでからかったり、クリスチャンのくせに教会に来ないとなじったり、通りすがりに引っ掻いたりされた。
一度など鉛筆で腕を刺されたが、その痕は今でも残っている。
ある日の授業中、後ろの席に座っていたそいつが椅子を蹴ってきたり背中を小突いたりしてきたので、振り向きざまにほっぺたに平手打ちを食わせてやった。
教室中に大きな音が響いたので、もちろん先生には怒られたが、思わぬ反撃にビビったのかそれからはちょっかいを出さなくなった。

棒倒し

中学時代は何も面白いことはなかったが、唯一運動会の名物競技棒倒しだけは興奮した。
クラス別の対抗試合で、攻撃隊と守備隊に分かれて相手の棒を倒す激しい競技だ。
殴る蹴るなどの暴力行為は禁止だが相手を投げる、引き倒す、タックルなどは許されていて、日頃の鬱憤を晴らすにはもってこいの競技だった。