おんじょどいの小屋

70代の思い出

悠友会

2015年10月には悠友会創立20周年記念事業の一環として文化祭が行われたが、準備段階から当日まで会員が一致団結して努力を重ね大成功をおさめた。
私も各クラブの展示パネルに掲載する写真のほとんどを作成するなど大いに協力した。
また当日はビデオ撮影に大忙しだったし、その後のビデオ編集にも大分時間がかかったが、12本の動画を作り、YouTubeにアップしてブログに掲載した。

2018年4月から自治会の広報部役員にもなって忙しくもなったので秋には広報役員をやめることにした。
広報役員をやっている間はほとんどのイベントでビデオ撮影をしたし、各クラブの紹介動画も撮影したので通算200本近い動画を作成し、ブログに掲載した。

その後も悠友会会員ではあったが、2019年夏に麻雀クラブをやめたのを機に退会した。
退会後もしばらくはブログの運営管理に協力していたが、ブログの投稿が誰でもできる新しいものに変えたいということだったので、 自治会のHPのサーバーを無料で使わしてもらうという段取りをつけてあげてから全面的に関与をやめた。

ニュータウン自治会

2017年4月より持ち回りの班長の役目が回ってきた。
日頃は自治会活動には全然興味がなくて、自治会だよりも目を通したことがなかったが、班長になると毎月1回は広報紙を回覧しなくてはならないし、 年2回のごみゼロ運動を仕切らなくてはならないし、班会議も開催しなくてはならなくて俄然自治会との関わりが深まった。
何より、班長になるといろいろな自治会活動の中の一つを分担しなければならないのが厄介だが、どうせやるなら広報の仕事にしようと決めていた。
広報部は毎土曜日に交代でケーブルテレビの自主放送の11chの編集をしなくてはならないので、PCスキルを必要とされるが、希望者が少ないので歓迎された。

当時の会長はAさんで、人脈も広く、悠友会とも繋がりがあったので、私が悠友会の広報として活動しているのを知っていたらしく、 秋頃副会長と一緒に我が家を訪ねて来て是非翌年から役員を引き受けてくれと要請された。
班長になって初めて自治会にもHPがあるのを知ってアクセスしてみたが、いきなりIDとパスワードを要求されてびっくりした。
もちろん知るわけないのでアクセスを諦めたが、これではHPで広報活動する意味がないと思って、 悠友会のときと同じように何とかしたいという気持ちがあったので、役員を引き受けることにした。

広報役員になると直ぐにHPリニューアルの作業を進めてテスト版を作り、広報会議でローカルでのテスト版を見てもらって了解を得て、 既存のHPの記事を全て編集し直すとともに新たなコンテンツも増やしてリニューアルを成し遂げた。
それまでのHPはホームページビルダーを使って編集作業をやっていたが、新しいHPでは無料のテキストエディタとHTPソフトだけを使って 編集するシステムにしたので、HP編集のために事務所に出向く必要がなく、自宅で編集できるのでHP編集サポーターのFさんやAさんにも喜ばれた。
もちろん詳細なマニュアルも作成した。
それまでのHPでは1ヶ月あたりのアクセス数は80前後だったみたいだが、リニューアル後は1000を超えるようになった。
それでも目標とした5000には全然届かなかった。以前の私と同じように、住民も自治会活動にはあまり興味はないようだ。
自治会でも悠友会と同じようにビデオをたくさん撮影して、HPに掲載したが、2年間で120本近い動画を作成した。

役員の任期は2年なので2020年3月までで退任したが、HPの編集のほうはその後もサポーターとして協力した。
広報役員は退任したが、HPの編集をテキストエディタとHTPソフトだけを使って編集するシステムでは難易度が高くて後継者を育てるのが困難なので、 再度リニューアルすることにした。
今回はWordPressで作成したので編集作業はWEB上でできるし、操作も簡単だし、ネット上に情報がたくさんあるので疑問点を解決するのが容易というのも利点だ。
折からコロナ騒ぎで自治会のイベントもほとんどできなくなったので、HPに掲載する記事もほとんどなくなり、私の関与もあまり必要とされなくなった。

スペイン紀行&パリ散策(2019.10)

2019年10月18日から31日まで、パリ経由でスペインに行った。
最初はツアーで行くつもりで手頃なツアーを見つけたのだが、セイイチロウに連絡したところ「日程が合えば僕らも行きたい」とのこと。
私たちにしてもイトちゃんと一緒に行けるならそれに越したことはないと、ツアーをやめて一緒に行くことになった。
ついでにと言っては何だが、マリちゃんのお母さんのマキコさんをお誘いしたところ、イトちゃんはウチでは5人目の孫だがマキコさんにとっては 初孫であるし、ご主人を2年前に亡くされて独り身なので二つ返事で賛同してくれて、親子三代三世帯6人でのスペイン旅行が実現した。
マキコさんを誘ったのは大正解で、ヤスエのいい話し相手になってくれた。
私と二人ではほとんど会話もなく、いつも白けた旅行になってしまうが、旅行中いつも二人は一緒でおしゃべりに夢中。
よく話しのネタに尽きないものだと感心するほど。お陰で、私はビデオや写真の撮影に専念できた。

今回の旅行は、セイイチロウが旅行計画から飛行機のチケットの手配、ホテルの予約、美術館やアルハンブラ宮殿の予約、 レストランの検索、全ての代金の 支払い、観光地での案内など全てをやってくれたので、私たちはただ付いて歩くだけの気楽な旅だった。
専属の添乗員兼通訳兼秘書みたいで、おまけにイトちゃんの世話と八面六臂の活躍。
本人はたいへんだったと思うがよくやってくれた。感謝の他ない。

機内食がグー!
18日(金)10:40羽田発パリ行きに搭乗。
離陸してしばらくすると激しい揺れ。今まで経験したことのない程の揺れで、少しビビった。
揺れが収まると飲み物に続き、機内食が提供された。 ”料理人コンペティション歴代ファイナリストのシェフたちの監修メニュー”とかで、 シェフの写真入りのメニューが付いていて、とても美味しい食事で 大満足。
今までに食した機内食で一番だったように思う。
着陸前に提供された軽食は、吉野家の牛丼。これも美味しかった。
エコノミークラスにしてはなかなかなのでは? JALさん、頑張ってるなと思った。

到着ロビーでの出来事
同日、16:40頃パリに到着。
セイイチロウの迎えが少し遅れて、到着ロビーで待っていると、人品卑しからぬご婦人(国籍不明)がゴミ箱の中からスタバのコーヒーカップを拾い上げると、 やおら蓋を開けて飲み残しのコーヒーを飲み干したのにビックリ。
飲み終わるとカップをゴミ箱へ、何事もなかったかのように立ち去っていった。
やがてセイイチロウたちが到着、イトちゃんは私たちが来ることを知らされていなかったらしく、キョトンとするばかり。
スカイプで時々顔を合わせてはいるのだが、私が抱き上げても不思議そうな顔をしていて、日頃はお喋りなのに会話をかわすまで時間がかかった。
セイイチロウが手配してくれた白タクらしきバン(向こうでは合法なのかしら?)で市内へ。
運転手さんは、片言のフランス語で国籍不明。空港職員や売店の店員なども様々な国の人を見かけたので、フランスは”人種のるつぼ”なんだなということを実感した。

グラナダ行きの飛行機が…
バルセロナからグラナダへは飛行機にしたのだが、19時20分発の予定が機体を変更するとのことで3時間遅れになってしまった。
これでトラブルは終わりではなくて、飛行途中、グラナダの悪天候により着陸をマラガに変更するとのアナウンスが…
21時頃グラナダに着くはずが、24時頃マラガに着陸。ここからグラナダへバスで1時間半ぐらいとのこと。
空港にバスが待機していると思いきや、駐車場でバスを待つこと2時間、それも7、80人の乗客に1台しか来なかった。
そのバスはグラナダ空港行きということで、市内に行く人はもう少し待つようにとのこと。
結局バスは手配出来ず、タクシーに分乗ということになり、4人ずつのグループを作ることになった。
私たちは6人なので日本人の新婚さんと組み、さらに1時間待ってようやく8人乗りのタクシーで出発。午前4時頃にグラナダのホテルに到着。 散々な目に遭った。
なんともお粗末な対応に、航空会社の職員らしき女性が乗客に吊し上げを食っていた。
翌日のテレビのニュースで、昨夜はグラナダ周辺は記録的な豪雨で各地で洪水が発生したようだった。

アルハンブラ宮殿は入場制限あり
サグラダファミリアもプラド美術館も予約をしていったほうが待たずに入場できていいが、アルハンブラ宮殿は予約しないと入場できない。
特に、アルハンブラ宮殿の中のナスル朝宮殿は1日に8,000人しか受け入れしないということで、30分毎に300人ずつ入場させるそうで、 入場時間の予約が必要で、その時間に行かないと入場できない。
私たちもそれを旅行の1週間くらい前まで知らずに予約が取れなかったのだが、 サグラダ・ファミリア見学の途中セイイチロウとマリちゃんがしつこく予約の電話を入れて、キャンセル待ちでようやく11時半の予約が取れたのだった。
11時半頃ナスル朝宮殿の受付前に並んでいたところ、前日タクシーをご一緒した新婚さんがやって来たのだが、彼らの予約は9時半と聞いていたので、 見学が終わって出てきたのかと思ったら「これから見学」とのこと、9時半頃ヘネラリフェ庭園に入場して、 庭園やアルカサバを先に見学してたらしい。
時間の予約はナスル朝宮殿に必要なので、ここの受付に時間までに来なければならないのだ。
案の定、気の毒に彼らは受付で断られて入場できずスゴスゴと去っていった。

スペインの食は最高!
スペインでの7日間の食事はいずれも素晴らしいものだった。
バルでのタパス、サン・ミゲル市場でのはしご食い、海鮮レストランでのイカスミパエリアなど全ての食事に満足した。
私の口に合うものばかりで、これならスペインで充分生きていけると確信した。
特に、イベリコハム! 私は子供の頃からハムが好きで、子供の頃の夢は”ハムを1本、一人で食べてみたい”というものだった。
ちょっと、しょっぱく感じる人もいると思うが、私には程よい塩加減に感じた。
それと、パンも美味しい。少し固めのものがいい。パンを齧りながらのワインもなかなかだった。

パリでのハプニング
スペインからパリに戻って28日(月)から帰国までの3日間はセイイチロウは仕事だったし、真紀子さんは疲れて休みたいとのことで、私たち夫婦だけで行動することになった。
パリは3回目なので特に行きたいところもなく、1日はルーブル美術館、2日間はオープンバスツアーで車窓からパリ見物をすることにした。
バスツアーの料金は1日券が34ユーロ、2日券は38ユーロなので2日券を買って、翌日セイイチロウたちに使ってもらった。
バスツアーの最中に、オペラ座通りの一つ筋を入ったところに日本食の多い通りがあるので、そこで昼食をとったときのこと。
ワインを注文したのが、店員さんが「大きいのか?小さいのか?」と聞いてきた。
メニューに”40cl/80cl”と書いてあったのだが”cl”の意味を知らなかったので、グラスワインだとばっかり思って「Bigger」と答えたところ、 運ばれてきた のはデカンタにたっぷり入ったワイン。 ”cl”はセンチリットルで100分の1リットル(10cc)のことだと後で知ったた。80clを頼んだので800ccだ。
ヤスエは全然飲まないので、800ccのワインを一人で飲むハメに。残すのはもったいないので全部飲んだが、結構キいた。

食事が済んで金を払おうと思ったら財布がない。
酔いもいっぺんに冷めて、あるはずのないところまで全部探して得た結論は「スられた!」。
とりあえずその場はヤスエのクレジットカードで支払い、すぐさま勤務中のセイイチロウに電話してクレジットカードを無効にしてもらった。
ウエストポーチにカメラと財布を入れて、ビデオや写真を撮るためしょっちゅうカメラを出し入れしていたのでそのスキにやられたものと思う。
充分に注意していたつもりだが、いつどこでやられたのかさっぱり。鮮やかな手口に脱帽。

翌日、ユニクロの前で息子と待ち合わせをしていたときにも、ジプシーらしき女の子たちが数人たむろしてしきりに私たちの様子を伺っていた。
セイイチロウが「あれはスリの集団だ」と言っていたが、なかなか離れないので一旦店内に入ってやり過ごした。店の入口にはガードマンがいるので中までは入ってこない。
そういえば、以前パリにツアーで旅行したときも同行の女性がスリにやられたことがあった。
それもジプシーらしき女の子たちに取り囲まれたときだったみたいということだった。
スペインもスリの多いところだとか? パリもスペインもスリにはご用心。

後日談として、財布はその後返ってきた。
パリ警察から聖一郎に電話があり、セイイチロウの電話番号を書いたメモの入った財布が捨てられていたとかで、 現金はユーロも円も全て無くなっていたがクレジットカードや免許証は残されていたのがせめてのものことだった。

スマホでなけりゃ
私はそのときはまだガラケーだったので、旅行先では使うつもりがなく、持参したものの電源はオフのままだった。
しかし、セイイチロウとマリちゃんのスマホにどれだけ助けられたことか!
二人は何でもスマホで処理してしまう。
美術館やアルハンブラ宮殿の予約、バス停の所在・路線・時刻の検索、レストランの検索とそのクチコミ情報などはもちろん、 どこへ行くにも道順を調べて どんな小道もGPSで迷わず行けるし、空港での搭乗や美術館の入場などもスマホをかざすだけ。
セイイチロウも「小さなパソコンを持ってるのと同じだから」と言っていたが、その利便性はガラケーとは較べものにならなということを実感した。
帰国したら早速私もスマホデビューすることにした。
こうして、トラブルや災難にも遭ったが無事に?(無事じゃなかったのかも)旅行から帰った。
帰ってから体重を測ったところ1.5Kgも痩せていたのは、旅行中に散々歩き回ったからか?

メルカリで断捨離 (2021年10月~2022年4月)

そろそろ終活を考えなくてはと思い始めたので、とりあえず不用品の処分をすることにした。
ネットで「メルカリを活用して不用品処分」の記事を見つけたのでマネすることにして、早速メルカリに登録し、使い方をネットで学んで販売を始めた。
一番最初に売れたのはピアノ椅子で、着払い5000円で売れた。
この椅子は詩子がいずれ自宅でのレッスンを始めるときに使うかもと思ってずっと取っておいたが、ピアノ教室を始める様子もないし、 邪魔になるばかりなので処分の第一候補になった。
売れたのはいいが梱包するのがたいへんだった。
本、CD、大工道具をはじめ、ガラケー2台、ノートPC2台、セイコやウタコの使わなくなった楽譜、ウタコのボディボードやスノーボードなど90回ぐらいの販売で20万円近い売上になった。
その金でPCやスピーカー、タブレット、スマホ、カメラを買い替えたが、もちろんそれまで使っていたものはメルカリで販売したので、たいした負担もなく買い替えができた。
送料や手数料を差し引くといくらにもならない物もあったが、元々断捨離目的でもあったし、何より販売自体に面白さを感じていたので相場より低めの金額設定にした。
カントリーのCDやブルゾン、ジャケットなどはなかなか売れないので取り下げたが、「鹿児島方言大辞典」はずっと取り下げず掲載しているがいまだに売れない。

運転免許証返納 (2022年7月8日)

昭和45年5月に取得した免許証を返納することにした。
更新手続きをとって後3年更新したかったが、最近は後期高齢者の免許証更新はハードルが非常に高く、 認知症検査では上尾まで電車バスを使って受けにいかなくてはならないし、技能講習も必要なので金と手間がかかるようになっている。
50年間の運転で日本縦断も成し遂げたし、埼玉鹿児島間の往復は20回以上、全国各地を余すところなく観光で回ったし、 もちろん仕事においては必要不可欠なもので散々利用したわけなので何ら悔いはないが、唯一自家用として新車を買わなかったことが心残りではあった。
この10年ほどはほとんど車を運転していないが、ロト6で一発当てられたら新車を買って乗り回したいという願望を持ち続けて、 ロト6をこの10年買い続けてきたが、ここまでチャンスがなく、遂に免許証返納にいたったのは残念と言うほかない。