おんじょどいの小屋

60代の思い出

右鎖骨骨折

60歳の11月群馬のフラワーパークにヤスエとウタコとウタコの飼っていたハナと遊びに行ったとき、 ハナとかけっこをして全力疾走していたら、ハナが突然足元にきたので避けようとしてバランスを崩し転倒した。
右手にリード左手にカメラを持っていたので肩から地面に激突、ポキンと大きな音がしたのでやっちゃったと思って 右肩に指を当てたら指が凹んだので右鎖骨を骨折したことを悟った。
ウタコの運転で病院に向かう途中は、車が振動するたびに痛みが襲ってきてまいった。
近くの病院で三角巾で腕を吊ってもらったが、その三角巾の汚いこと!
さすがに医師も恐縮して「こんなものしかないのか?」と看護師を怒っていた。
翌日市立病院に入院したが、どうせ全身麻酔になるので、ついでに前回の左鎖骨骨折の手術の失敗を補修してもらった。
お陰で無骨に盛り上がっていた手術痕も少しはましになった。

新白岡へ転居(2007年12月1日)

2000年に鹿児島へ帰ったときには鹿児島に骨を埋めるつもりだったが、新白岡に家を買ったことから 新白岡で余生を過ごすことも頭の片隅にあった。
それを決定づけたのはウタコの結婚だった。
新白岡の家が出来上がってからはセイコとウタコが住んでいて、私たちは時折泊まるお客さんみたいだったが、 ウタコが結婚してセイコ一人になると生活もたいへんかなと思ったので新白岡に住むことにした。

西伊敷の家は当初1200万円で売りに出していたがなかなか買い手がつかず、950万円に下げたところようやく引き合いがあり、 さらに50万円値引きして売れた。
ローンの決済がおりて諸手続きが終わったのは新白岡へ帰る飛行機の予約日の前日という際どいタイミングだった。

テレビやダイニングテーブル、パソコンなどの家具はヤスエの親戚に譲った。
植木の大半はトシヒコ義兄さんのところに植え替えた。
その他の家具や洋服類なども処分して、引っ越し荷物はヤマトの一番小さいパックで収まった。

当時乗っていた車(アバロン)は丁度車検の時期に重なっていたし、白岡は駐車場は1台しか停められないので廃車にすることにした。
ウタコが結婚して家を出たらまた車を購入しようと考えていたが、ウタコの住まいが春日部なので車の必要なときは借りられるし、 特に出かける用事もないということで車は新たに購入することなく終わった。

警備の仕事(2008年3月~2010年9月)

鹿児島の家を売却し白岡に住むことにしたが、何もすることがなく暇を持て余していたらヤスエが仕事をしろとうるさく言うので、 やむを得ず病院の警備の仕事に就いた。
朝9時からの24時間勤務で17000円、月6~7回のシフト。
一日2回の巡回のほかは立哨が主で、仕事としては楽なものだったが人間関係がわずらわしく、あまり長く勤めるところではないと思った。
最初のうちは電車通勤だったが、しばらくしたら自転車通勤に変えた。
40分ほどかかるが、健康のためと、仕事帰りに温泉に入る楽しみを覚えたからだ。
年金を貰える65歳になったのを機に退職した。

ヨーロッパ旅行(2009年6月3日~22日)

2009年6月、パリに住んでいるセイイチロウのアパートを拠点にスイス、イタリアそれぞれ一週間ずつの予定で旅行の計画を立てた。
イタリアはセイイチロウも休みを取って一緒に行くことになったので旅程はセイイチロウに任せたが、 スイスの旅行計画は旅程はもちろんユーレイルパスの購入やホテルの予約にいたるまで、全て自分でネットで調べて計画を作った。

パリ編
6月3日、パリに着いたらまずセイイチロウの勤めていた三越に行って、セイイチロウの勤務が終わるまで荷物を預かってもらって周辺を散策することにした。
セイイチロウと合流後、翌日乗る予定のオープンバス(L'Open Tour bus)の売り場に案内してもらって2日券を購入して、セイイチロウのアパートへ。
L'Open Tour busは3つのコースがあって、乗り降り自由で、日本語の音声ガイドもあるので便利だ。

6月4日午前中はオープンバスの3つのコースの中で最もメジャーなBlueコースで、ルーブル美術館、 ノートルダム寺院、オルセー美術館、凱旋門、エッフェル塔、コンコルド広場を車上から観光。
午後は、Redコースでトリニティ教会、ムーラン・ルージュ、サクレクール寺院、北駅、東駅、バスチューユ広場を回って、ノートルダム寺院で下車して見学。

6月5日はオープンバスでシテ島にあるラ・コンシェルジュリー見学に行った。
ここは初め王宮として建てられたが後に牢獄として使われるようになり、マリー・アントワネットも投獄されたとか。
当時を模した牢屋にマリー・アントワネットらしき人形が。
その後、パンテオンの見学。ここはキリスト教の大聖堂として造られたが後にフランスの偉人の遺骸を祀る神殿となったとのこと。
ここにはキュリー夫人、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユーゴー、モネ、デカルト、 ジャン=ジャック・ルソー、エミール・ゾラなど、フランスを代表する作家・思想家・画家の墓がある。
またパンテオンは地球の自転を証明した「フーコーの振り子」の実験(1849)が行われた場所としても知られている。
その後、高さ210m、59階建てのモンパルナスタワーの展望所に上った。パリで一番高いビルなのでパリ中が見渡せる。
それから、アンヴァリッドに行き、ナポレオンの墓や軍事博物館を見学。
その後、ルーブル美術館を見学し、セイイチロウと待ち合わせて夕食を共にした。

6月6日は充分時間をかけてオルセー美術館を堪能した。
その後、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を見学。
再度ノートルダム寺院に回ったが、ノートルダム寺院では地元の信者のためのミサが行われていた。

6月7日はセイイチロウの案内でエッフェル塔に行き、展望台まで階段を上って眺望を楽しんだ。
セイイチロウの提案でパリ下水道博物館を見学した。パリの下水道は全長2400kmはあるとのこと。
少し臭ったが貴重な体験ができた。
その後、少しセーヌ川沿いを散策して、オランジェリー美術館でモネの睡蓮を見た。

スイス編
6月8日、パリのリヨン駅よりTGVでジュネーブへ。リヨン駅までセイイチロウが案内してくれた。
前もって日本でユーレイルパスを購入していたので、窓口でアクティベーションをしてもらって列車の到着を待った。
列車を待つ間にカフェでコーヒーを飲んでいると、雀がたくさん店内に入ってきて客が落としたパンくずを拾って食べているのにビックリ。
TGVも新幹線ほどではないが快適だと思う。

ジュネーブに着いたらまずサンピエール大聖堂にタクシーで行ったが、運転手がなんと日本人だった。
ジュネーブからローザンヌまではレマン湖クルーズを楽しむことにしていたので、サンピエール大聖堂からは歩いて船着き場へ。
船着き場からレマン湖名物の大噴水が見える。
ローザンヌでは木造の屋根付きマルシェの階段を上ってノートルダム大聖堂へ。ローザンヌ泊。

6月9日、ローザンヌからフィスプ経由の電車でツェルマットへ行き、ツェルマットから登山電車でゴルナーグラート(標高3089m)へ。
ゴルナーグラートへ向かう登山電車の途中から壮大なマッターホルンが見えてきて大感激だった。
生まれて初めて氷河をこの目で見ることができたし、展望台のレストランで食べたラム肉が最高に美味しかった。

ツェルマットに戻って街歩きを楽しんだ。
ツェルマットはガソリンエンジンの車は通行できないので、電気自動車か馬車が交通機関なのだが、立派な白髭をたくわえた御者が颯爽と馬車を走らせていた。
街には木組みの古い建物も残されている。
大通りのホテルの玄関先でかっこいいジャズピアノを弾いていたので、大きな拍手を贈ると手を上げて応えてくれた。ツェルマット泊。

6月10日、ツェルマットからグレッシャー・エクスプレス(氷河特急)でサンモリッツへ8時間の旅。
氷河特急にも一度は乗ってみたかったのだが、期待に違わず素晴らしい経験だった。
天井まである大きな展望窓が特徴のパノラマ車両で、座席は広いし、大きなテーブルも置かれているので食事もゆったり出来る。
食事も出来たてを座席まで運んでくれるのだ。
私たちは空いていた窓際の席に向かい合わせで座ったのだが、後からきたドイツ人夫妻の予約席だったみたいで、 謝って席を変わろうとしたらご主人のほうが「そのままでいいですよ」と言ってくれた。

途中の景色は山あり、谷あり、川あり、草原あり、お城あり、街ありと見飽きることがなかった。
出された食事も美味しかった。
サンモリッツでも街歩きを楽しんだが、結構流れの早い川沿いにある聖チャールズ教会が印象深かった。
夕食のレストランでのこと、なかなか注文取りに来なくてサービスも悪かったのに、支払いの際は 「お釣りはいいよね」と勝手に自分で決めてお釣りを寄こさなかった。サンモリッツ泊。

6月11日、サンモリッツから氷河特急でクールへ。
長さ136m・高さ65mの峡谷にかかるラントヴァッサー橋は残念ながら工事中で赤い幕がかかっていた。
氷河特急の車窓から見るスイスの景色はどこも素晴らしく、防音壁しか見えない新幹線とは大違いだ。

クールで電車を乗り換えてチューリッヒへ。大きなチューリッヒ湖が見えてきた。
チューリッヒにお昼頃着いて街歩きを楽しんだ後、ルツェルンを経由してインターラーケンへ。
ルツェルンを時間通りに出発したのだが、どうも電車が普通の通勤電車みたいでおかしいなと思いながら乗っていたけど、 次の駅で停車したとき隣のホームに急行電車らしき電車が止まっているので、人に尋ねてみたところどうやら乗り換える必要があるみたいだった。
そんなことはどこにも書いてなかったので、随分不親切だなと思った。危うく電車を間違えるところだった。
インターラーケンでも街歩き。街中からユングフラウが見える。インターラーケン泊。

6月12日、インターラーケンからグリンデルワルドへ。
グリンデルワルドから電車でクライネ・シャイダックへ。ここでアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山を望めるハイキングを楽しんだ。

グリンデルワルドに戻り、ゴンドラでフィルスト展望台(標高2171m)へ。ここからはグリンデルワルトの町が一望できるし、 シュレックホルン、アイガーなどの名峰を眺めることができる。
ゴンドラからは眼下にカウベルを響かせる牛たちがたくさん見られた。
グリンデルワルドから戻って、またインターラーケンの街歩き。インターラーケン泊。

6月13日、インターラーケンからゴールデンパスラインでモントルー経由でジュネーブへ。
ジュネーブでまたしてもハプニングが。
駅で有料トイレを使ったところ、カメラを置き忘れてしまった。
しばらくして気がついたので慌てて戻ったら、棚の上にまだあったので一安心。
大事な写真データを全て失うところだった。
こうして6日間のスイスの旅を終えたが、スイスはやはりもう一度訪れてみたいと思うところだ。

イタリア編
6月14日、イタリア旅行はセイイチロウが段取りをつけてくれたので、私たちはただ付いて歩くだけの気楽な旅であった。
パリから格安航空でまずベネチアへ。
ベネチアでは水上交通だけなので水上バスで見学。
サンマルコ広場ではコッレール博物館やドゥカーレ宮殿の見学も。
水上バスから見た夕日の沈む光景も見ごたえがあった。ベネチア泊。

6月15日、サン・マルコ寺院を見学してからベネチアの街歩き。
午後3時過ぎに電車でフィレンツェに移動。
フィレンツェでは夕食後の散歩がてらサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を見に行った。フィレンツェ泊。

6月16日、朝食後、再度サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の見学。
大理石で造られた壮麗な佇まいに圧倒される。
内部を見学する前にヴェッキオ宮殿とその前にあるシニョリーア広場周辺をを散策し、ダヴィデ像の前で記念写真を撮った。
フィレンツェ最古の橋と言われるヴェッキオ橋も見えた。

ふたたびサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に戻って内部の見学をして、高さ106mのクーポラの周りに造られた展望台にも狭い階段を通って上った。
展望台では茶色の屋根とベージュの壁に埋め尽くされたフィレンツェの街並みを一望できた。
それからサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へ移動して、有名なフレスコ画をいくつも鑑賞した。フィレンツェ泊。

6月17日朝、電車でローマへ移動。
ローマの地下鉄の車体にはたくさんの落書きがあった。とても汚いし、治安も悪そうという雰囲気がプンプン。
車内でバイオリンをを弾いている人がいたのには驚いた。何のために?
駅からカピトリーノ美術館、フォロ・ロマーノと歩き、昼食を挟んで世界遺産のコロッセオへ。

コロッセオはさすがに凄い! 重機のない昔にこれだけのものを造ったローマ人に驚きを禁じえない。
ここで数千人ものグラディエーターが命を落としたことを思うと感慨深いものがある。
コロッセオの周りには古代ローマの扮装をした人たちがたくさんいて、写真のモデルを勤めていた。

次に映画「ローマの休日」で有名なスペイン広場に移動し、トリニタ・ディ・モンティ教会やトレビの泉を見学。
それからヴェネツィア広場に移動し、ヴィットーリオエマヌエーレ2世記念堂やトラヤヌスの市場を回ってホテルへ。
今日もよく歩いた。ローマ泊。

6月18日、今日はカトリック教の総本山ヴァチカンを訪れる楽しみな日だ。
サン・ピエトロ広場の入り口から段々興奮の度合いが大きくなった。
サン・ピエトロ大聖堂ではミケランジェロのピエタ・レオ1世の祭壇・聖ペテロの司教座・大天蓋などが見られた。

ヴァチカン美術館の長い廊下の見事な天井画を見ながらシスティーナ礼拝堂へ。
システィーナ礼拝堂では人数制限が行われていたが、ミケランジェロが描いた創世記などの大天井画や有名な最後の審判の壁画などに心打たれた。ローマ泊。

6月19日、この日は初めにカピトリーノ美術館でたくさんの絵画や彫刻を堪能した。
カピトリーノ美術館見学後、「真実の口」にも手を差し入れてみた。噛まれることもなく、無事に手が抜けた。

その後、パンテオンを訪れた。パンテオンは床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、 頂上部分には採光のための直径9メートルの開口部があるが、雨が降っても床に排水孔があるので大丈夫なのだそうだ。
内部にはルネサンス期の巨匠ラファエロが埋葬されている。
ナヴォーナ広場には似顔絵描きがたくさんいて商売繁盛だったみたい。
最後にサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に寄ってからホテルへ、翌日電車でパリに戻った。
イタリアはとても暑かったので歩きでの観光は大分疲れたが、大満足の旅行であった。

茶臼岳&朝日岳縦走(2010年6月2日~4日)

2010年5月旧友のN君から茶臼岳&朝日岳を縦走するツアーに一緒に参加しないかという提案があった。もちろん一も二もなく賛成した。

6月2日、黒磯駅でN君夫妻と5年ぶりに再会。お昼ごろ「お菓子の家」那須ハートランドへ、ここには「お花の城」もあって、いろいろな花や植物を愛でることができる。
夕方早めに大丸温泉にチェックイン。ゆっくり温泉に浸かり、夕食後は持ち込んだPCで写真や動画などを見たり、談笑したり、久しぶりの再会を喜び合った。

翌日は、那須ロープウェイで山頂駅まで行き、茶臼岳の山頂を目指した。
茶臼岳を一回りする形で姥ヶ平まで歩き、更に三斗小屋まで下った。ほとんど下りの行程なので景色を楽しみながら歩けた。
三斗小屋へは3時過ぎに到着。大黒屋に宿泊。山小屋風の宿で、電気は自家発電とかで裸電球だったが、寝具は山小屋とは思えないほどに清潔で羽毛布団だった。

翌日は朝日岳を目指す。今回は上りがほとんどだったが、それほどきついとは思わなかった。
途中、ヤスエの靴底が剥がれるハプニングがあったが、同行の女性が粘着テープで固定してくれた。早めに下山できたので那須休暇村で温泉に入り、午後黒磯駅でN君夫妻と別れた。

天気も良かったし、旧友とも再会できたうえにハイキングで英気を養え、とても楽しい体験だった。

趣味の川柳

病院の警備の仕事を辞めてから暇になったので、以前薩摩狂句とともにはまっていた川柳を再開した。
薩摩狂句は鹿児島弁の川柳みたいなものだから、川柳もそこそこ面白い句も作れたし、川柳は全国区だから人的交流には最適だとも思った。

最初はネットの川柳の掲示板に投稿することから始めたが、常連の投稿者のいる掲示板にはなかなか馴染めないこともあったし、 対面での交流も必要だと思って、久喜のヨーカドーにできた川柳教室に通うことにした。
講師は佐藤美文先生だったが、生徒が3人だけで寂しいので佐藤先生が白岡駅近くの公民館でも川柳教室をやっていることを聞いたのでそちらに移った。
白岡教室は8人くらいいて、長く続いている教室なのでベテランの人が多く、そこそこ勉強になった。

そうこうするうち自治会の広報で、新白岡の老人会である悠友会の案内が入っていて、その中に川柳クラブがあることがわかったし、 講師もまたまた佐藤先生だったので入会することにした。
しばらくは両方の教室に通っていたが、悠友会の方も人数が増えてきて8人になったので白岡駅の方は辞めた。

悠友会

2013年2月に悠友会の川柳クラブに入会したのだが、悠友会のクラブに入るには悠友会にも入会しなければならないということで、4月から入会した。
悠友会は老人クラブにしては組織として充実しており、会員数も白岡市ではダントツに多く、活発な活動をしていることがわかった。
丁度、川柳クラブの会員でもあったTさんが会長になった年で、暑気払いの会のときにTさんに役員になってほしいと頼まれたので、 自分から広報部役員に応募した。
なぜかというと、悠友会ではブログを運営していたが、そのブログがヤフーブログを使っていて広告が多くてとても見にくいし、 写真もたくさん掲載できないブログだったので、それを何とかすればいいのにと思っていたからだ。
翌年の4月から正式に広報部役員になったが、その前からヤフーブログをFC2ブログに変更する作業を始めた。
広報の役員になってからは動画や写真をたくさん撮って掲載し、大いにブログを盛り上げた。
麻雀クラブにも入会し、毎土曜日に卓を囲むようになり楽しみが増した。
秋には一泊旅行もあったし、新年会や暑気払いなどのイベントもあり、人的交流が活発になった。
悠友会で1月と7月に発行している「悠友会だより」も2014年1月号から編集を担当することになり、 今までワードで作成していたものをPhotoShopで作成するようにしたのでデザインの自由度もあがり、見やすいものになったと思う。

イギリス旅行(2015年5月12日~20日)

2015年5月12日から20日までイギリス旅行に行った。
旅行各社にいろいろなイギリスツアーがあったが、自由行動のあるものは少なく、しかも旅行代金も高いものが多かった。
ロンドンに住むセイイチロウとマリちゃんに会うのも目的のひとつなのでロンドンでの自由行動の多い、リーズナブルなツアーをネットでようやく探しあてた。
参加者は26名、夫婦の参加者は6組で、一人旅の男女が結構いた。もちろん女性の方が断然多い。

羽田→ヒースロー
今回の旅行は羽田発着で、おまけに上野東京ラインが開通して品川まで直通で行けるのでとても便利だった。
羽田国際空港の4階には「江戸小路」5階には「TOKYO POP TOWN」「展望デッキ」と出発までの時間を過ごせる施設もできていた。

ANAの直行便で12時間半のフライト。チェックインはネットでもできるので座席も予約できたが既に空席は少なく、一番後ろの席44Jと44Kにした。
ボーイング777の座席は以前に比べて前後も少し広くなったようで、それぞれの座席に液晶画面があって映画や音楽を楽しめた。
離陸後2時間くらいしたら飲み物が提供されたのでビールを頼んだ。その後しばらくして食事が提供された。
食事のときの飲み物には水割りを頼んだが、私の好きなCHIVAS REGALでとても美味しくいただき、お代わりもした。
食事が済めば機内も暗くなり、後は寝るしかないのでひたすら眠るように努めるだけ。
11時40分発の飛行機だが太陽を追いかけていくので外はいつまでも明るく、寝てる人が多く、窓を開けられないので外の景色はあまり見られない。
着陸の1時間半くらい前に二度目の食事がでたが、今度の飲み物はヤスエの目が尖っていたので自粛してジュースと紅茶だけに。

ヒースロー空港からは直ぐにホテルに向かい、ロンドン市街の渋滞もあって着いたのが7時頃。
セイイチロウがホテルで待っていて、日本から持ってきた食料や日用品などを渡して近くのレストランで食事することに。
トルコ料理のお店で、一度は食べてみたかったシシカバブをようやく味わうことができた。
トルコ料理ということで少し特殊な味かと思っていたが、ラム肉の串焼きでとても美味しくいただいた。
こちらの料理は量が多く、前菜にオードブルを頼んだがそれだけでお腹いっぱいになるくらいだった。
デザートを食べられる別腹は残っていなかった。
時差ぼけか?食事中も眠くて眠くて。早めに就寝し、翌日に備えた。

チェスター&ポントカサルテ
2日目は朝8時にホテルを出発して300Kmあまり離れたチェスターにバスで移動した。
前日12時間半も飛行機に揺られたばかりなので、皆さんバスの中では寝てる人が多かったようだ。
私は初めてのイギリス旅行に眠るのを惜しんで景色を眺めたり、写真やビデオを撮ったり、添乗員さんの説明を録音したり、大忙しだった。
高速道路ではバスの乗客もシートベルト着用が義務づけられていて、添乗員さんがしつこく注意を促していた。

イギリスの交通は左側通行で日本と同じだ。というか、日本がイギリスの交通システムをモデルにしたとのこと。
交差点はラウンドアバウト方式(roundabut)で、環状の交差点を左折の車は時計回りに4分の1周、 直進の車は半周、右折の車は4分の3周して目的の方向に向かう。
ラウンドアバウトは信号がないので信号待ちがなく、車の流れがとてもスムーズだし、直進が出来ないので出合い頭の事故もない。
フランスでこれを見たときに「うまく考えたものだ」と思ったが、日本もイギリスをモデルにしたのであれば、この方式も取り入れたらよかったのに。
もちろん都会の交通量の多いところはラウンドアバウトではなくて信号機のある交差点になっていて、やはり大渋滞が発生している。

信号は縦に赤・黄・青となっているが、日本と違うのは赤の後に黄色が点く。
また、ほとんどの高速道路が無料だそうだ。その分税金も高いのだろうが、日本の高い高速料金からみればうらやましいかぎりだ。

チェスターはイギリスで最も中世の風情を残す城塞都市で、一周3kmの城壁に囲まれ、 黒い木組みに白壁のコントラストが美しい建物(The Rows ザ・ロウズ)の並ぶ町だ。
折悪しく、ヴィクトリア女王の即位60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)を記念してつくられた時計台のところが工事中で 街の中を貫く城壁を歩くことができなかった。時計台も直接見ることができず、幕に描かかれた絵が見えるだけ。

ポントカサルテ水道橋は1805年完成で、長さ307m、幅3.4m、深さ1.60m、高さ38mで、内部が空洞の石造りの橋脚19本に支えられている。
ナローボートが水路の幅ぎりぎりを運行しているそうだが、残念ながら私たちのいる間には通らなかった。
谷川に降りられる道があったらしいのだが気づかず、橋を下から見上げることができなかったのが残念。
2009年に世界遺産に登録されたが、世界遺産には近くの高さ21m、全長220mのチャーク水道橋も含まれている。
この日はリバプール泊まりなので、この後リバプールに移動。

リバプール&湖水地方
8時半頃にホテルを出発。
リバプールといえばビートルズ! ご他聞にもれずビートルズ関連の施設巡りに出かけたが、朝早くなので開いてるところが少ないのと、 午後には145Km離れた湖水地方に向かうのでキャバーンクラブ周辺だけの散策だった。
ツアー仲間の新婚さんは物足りなかったようで、湖水地方の観光をパスしてリバプールに留まり、一日中ビートルズに浸ったとのこと。

ビートルズ

キャバーンパブの前に立つジョンレノンの像

ビートルズ

The Beatles Shop

リバプールは18世紀から19世紀にかけて海商都市として栄え、リバプールの中心街の一画アルバート・ドック(Albert Dock)には、 当時レンガと鉄と石だけで造られた耐火倉庫が残されている。
残念ながらアルバート・ドックには行かなかったが、ここにはテート・リバプール(近現代美術館)、マージーサイド海洋博物館 、 ビートルズ・ストーリーなどがあり、世界遺産に登録されている。

リバプール大聖堂の設計者はSir Giles Glibert Scott(1880-1960)で、イギリスの有名な赤い電話ボックスも同じく彼の設計とのこと。
イギリスでも公衆電話は少なくなって探すのに一苦労。折角電話ボックスを見つけても電話機は取り外してあったりしていて、 設置してあるところでは観光客が一緒に写真を撮ってる場面を多く見かけた。
リバプール大聖堂

リバプール大聖堂

イギリスは山が少ないようだ。バスで長時間走っても山らしい山は見当たらず、なだらかな丘ばかりが目につく。
湖水地方まできてようやく遠くの方に山が見えてきた。
日本は小さな島国だと思っていたが、イギリスの国土面積は日本の3分の2くらいなのに、山や森林が少ないので可住面積は日本の倍くらいとのこと。
道理で羊や牛も広い牧草地でゆったり草を食んでいるんだ。
湖水地方には広い牧草地の割りに羊や牛は少ないように見えたが、それでも人口の4倍いるそうだ。いかに人口密度が低いかだ!
イギリスの緯度は北海道と同じくらいだが、暖流の北大西洋海流の影響で温暖な気候らしい。この時期は埼玉の1ヶ月前くらいの気候といえるのでは? 朝夕は冷える。

昼食はイギリス名物のアフターヌーンティー。女性の皆さんは喜んでいたみたいだが、ビールには合わないので私にはイマイチだった。
アフターヌーンティー

アフターヌーンティー

ピータラビットの生みの親ビアトリクス・ポターは湖水地方をこよなく愛した人で、ピーターラビットの莫大な印税で湖水地方に農場をいくつも買い、 湖水地方特有の羊、ハードウィック種の保護、育成に尽力して品評会で数々の賞を獲得したとのこと。
尚、死後は農場や建物をナショナル・トラストに寄贈したそうだ。
ナショナルトラスト運動は環境保護のために、重要な土地や建物を人が住んでいるまま買い上げて管理保全していくもので、 湖水地方の3分の1がナショナルトラストの所有だそうだ。

ウィンダミア湖では遊覧船でクルージング。船内には中国人の観光客がたくさん同席して賑やかだった。
中国人はあたりかまわず大声で話すので、まるで喧嘩してるみたいだ。
ツアーに母娘で参加していた娘さんのほうが中国語ができるようで、中国人のおじさんと意気投合し、翌日のシェークスピアハウスでも出合ってお友達になったみたいだ。

レークサイドでは「機関車トーマス」みたいな可愛い蒸気機関車に乗った。
リバプールに連泊。明日はシェークスピアの里へ。  
ウィンダミア湖

ウィンダミア湖

 
蒸気機関車

蒸気機関車


ストラトフォード・アポン・エイボン
朝8時出発でリバプールから215Km離れたストラトフォード・アポン・エイボンへ移動。 ストラトフォードという地名はたくさんあるので、エイボン川沿いのという意味でストラトフォード・アポン・エイボンになっているらしい。 この町はシェークスピアの生誕の地としてあまりにも有名だ。 「シェークスピアの生家」の入場料は大人14ポンド、我々は15名以上の団体でしか65歳以上のシニア料金9ポンドで入場できた。 というのも新婚さんと若い娘さんの3人を除いて、65歳未満のツアー仲間もにわかにシニアになったからだ。

シェークスピアの生家

シェークスピアの生家

私たちは昼食を含めた自由時間があったので、シェークスピアのお墓のあるホーリー・トリニティ教会に行った。
彼の妻の墓もあるとのことだったが、まさか彼のお墓の隣だとは気づかず、スルーしてしまった。あとでインターネットで調べて気づいた。

教会の裏はエイボン川がゆったりと流れており、向こう岸は広い野原で、静かな雰囲気の癒しの空間だった。
シェークスピアは1564年4月23日に誕生、1616年4月23日奇しくも誕生日と同じ日に死去したが、この日にはたくさんの花がたむけられ、 教会全体が花の匂いに包まれるそうだ。

今回のツアーでは旅行社からイヤホンが渡され、バスを降りたときの添乗員やガイドの案内や誘導を聞けるようになっていた。
直線距離で50mくらい離れていても聞こえるので、常時添乗員やガイドの傍にいなくても案内や誘導を聞き漏らすことがないので安心だった。
ただ、写真やビデオを撮るのに夢中になっていると、意外に遠くへ行ってしまっていることがあり、はぐれそうになったことも。
ICレコーダーを持っていったのでバスの中の添乗員やガイドの案内は録音できたが、イヤホンはモノラルだったので端子が合わず録音できなかった。
前もって分かっていればモノラル対応のコードを持っていって洩らさず録音できたのだが。

コッツウォルズ地方
コッツウォルズとは「羊のいる丘」という意味。ロンドンから約200km。ライムストーン(石灰岩)で造られた蜂蜜色の家々の美しさに 魅せられて観光客の絶えないところで、イギリス人のあこがれる、最もイギリスらしい田舎といわれる。
13~14世紀にはコッツウォルズ・ライオンと呼ばれる毛足の長い羊からとれる羊毛と高品質のウール製品で栄えたとのこと。
産業革命後は衰退したが、今でも牧草地にはいたるところに、所有地の境界を示すドライストーンを使った長い石積みの壁が見られる。

バートン・オン・ザ・ウォーター
ウィンドラッシュ川(深さ10cm)が流れていて「コッツウォルズのベニス」と言われている。特に何があるという村ではないが、 週末になると都会から安らぎを求めて遊びにくる人が多いとのこと。
モデルヴィレッジは村全体をミニチュア化し、9分の1の縮尺で忠実に再現したものだ。一見の価値あり。

バイブリー
バイブリーは、19世紀のイギリスの詩人でモダンデザインの父とも呼ばれるウィリアム・モリスが、英国で最も美しい村と評したことでも知られる村。
町中を流れる小さなコルン川は透明度が高く、水鳥がのんびりと浮かび、マスが泳いでいた。

アーリントン・ロウ(Arlington row)は14世紀に建てられ、当初は修道院のウール倉庫として使われていたが、 17世紀に織物工が住むコテージに改築された。現在はナショナルトラストによって管理され、今も住居として使われている。

アーリントン・ロウ

アーリントン・ロウ

スワンホテルは1650年創業の歴史あるホテルでバイブリーのランドマーク。
付近には有料トイレ(20ペンス)しかないが、ツアー仲間は誰も使わなかったようだ。添乗員さんお薦めの、 スワンホテルのバーで飲み物を頼んでトイレを使ったほうがいいみたい。

オックスフォード
オックスフォードでは中心街から街歩きでいくつかのカレッジを見た。
オックスフォード大学とは数あるカレッジの総称であり、オックスフォード大学という名前の大学は存在しないとのこと。
ちょっと複雑なシステムみたいで、各カレッジは独立性をもっており、正式には、オックスフォード大学卒というより○○カレッジの○○専攻卒とするべきとのこと。

クライスト・チャーチのグレートホール(学生食堂)はハリーポッターの映画撮影に使われたので観光客にも人気のスポットだ。私たちは時間の都合で割愛。
「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルもクライスト・チャーチの出身で、数学の教授も勤めた。
グレートホールに肖像画があり、壁のステンドグラスには「不思議の国のアリス」のうさぎなどのキャラクターも描かれてあるとか。

 
オックスフォード

オックスフォード

 
オックスフォード

オックスフォード

ストーンヘンジ
ストーンヘンジは謎の多い先史時代の遺跡で、何のために造られたのか? どうやって280Kmも離れたところから重さ何トンもある石を運んだか?
明日からロンドン観光。3連泊なのでロンドンに移動。
ストーンヘンジ

ストーンヘンジ

大英博物館
大英博物館は約800万点の収蔵を誇り、常設展示だけでも15万点とのことで、一通り見学しようと思うと数日は必要になる。 イギリスでは博物館や美術館は全て無料になっていて、子供たちや学生も本物をいつでも無料で見られるのだから幸せだ。

大英博物館

大英博物館

ロゼッタ・ストーン
エジプトのロゼッタで発見された石版。碑文は同じ内容のものが三つの言語で著されている。古代象形文字を解読する手がかりとなり、 他のエジプト語の文書が続々と翻訳されることとなった。

ラムセス2世 King Ramesses Ⅱ
紀元前1270年頃の第9王朝のファラオ。巨像の上部が展示されている。

人面有翼の巨大なライオン
宮殿を魔物から守るため入り口に置かれていた。

パルテノン神殿の彫刻群
紀元前5世紀頃に造られた。騎手と信者の長い行列のフリーズが彫られている。

パルテノン神殿の破風彫刻
  紀元前5世紀頃に彫られたもの。一番左は太陽神ヘリオスの馬の頭部。一番右は月の女神セレネの戦車を引く馬の頭部。

テーベ王朝の墓所の壁画
テーベの第18王朝の官吏、ネバムンの墓所とされる。宴会を表しているようで、楽士や踊り子が描かれている。

アッシリア宮殿の浮き彫り彫刻
王の強さを示すためライオン狩りの様子が誇張されて描かれている。

ミイラ
初期には地面に穴を掘ってじかに埋葬された。死者の魂の住処として肉体を保存するためにミイラ作りが発達した。ネコのミイラは動物崇拝を示すもの。

バッキンガム宮殿の衛兵交代式を見るために周辺の道路は大渋滞。私たちのバスも時間に間に合いそうもなくて、近くで降りて歩いた。 ちょうど間に合って、勤務を終えた衛兵が退出するところだった。何時間も前から場所取りをして待っている観光客もいるらしい。

その後、国会議事堂の近くの船着場からテムズ川のクルーズへ。ロンドン塔のところで降りて、バスで中心街へ。
中心街で少し待ち歩きをして、中華街で遅い昼食をとり解散となった。
後は自由行動なので、私たちはセイイチロウの住む家へ地下鉄で向かった。
19日午後3時の出発までロンドン市内観光を息子たちとするので、「オイスター」(日本のSUICAのようなプリペイドカード)を購入した。
5ポンドのデポジットを払うので、一日だけの観光ならトラベルカードのほうがお得だ。
セイイチロウの家では刺身をご馳走になったが、それがこちらのスーパーで買うものより新鮮で美味しかった。8時半頃にホテルに帰り着いた。

ロンドン塔&ナショナル・ギャラリー
今日は9日間のツアーで唯一の雨。午後には晴れるとのことだが… まず、ロンドン塔へ行くことにした。セイイチロウがネットで予約をしてくれたので、チケットを買う長い行列に並ばなくてすんだ。
ウォータルー兵舎に収納されているクラウン・ジュエルは残念ながら撮影禁止だった。
歴代の王冠の見学は上野動物園のパンダ舎のようにベルトコンベアーで遅滞なく進むようになっている。
ここには十字架飾りの笏に嵌め込まれた530カラットの世界最大のカットダイアモンドもある。

ロンドン塔

ロンドン塔

午後には天気も回復してきて、次はナショナル・ギャラリーの見学へ。
たくさんの名画の写真も撮ったが、デジカメではうまく撮れなかったので、動画ではネット上のきれいな画像を使った。
ここも2、3時間ではとても見きれない。

レンタル自転車もあるが、返すときに駐輪場がいっぱいだと他の駐輪場へ持っていかなければならないので、周辺の地理に詳しくないと借りるのは無理かもしれない。

明日はウェストミンスター寺院を訪れ、午後3時にはホテル出発で帰国の途に。

ウェストミンスター寺院&帰国の途へ
ウェストミンスター・ブリッジでセイイチロウたちと待ち合わせ。記念撮影をして、すぐ近くのウェストミンスター寺院の見学に行った。
ここもネットで予約してあったので待たずにすんなり入れた。入り口で日本語ガイドのイヤホンを受け取って内部に進むが、この先は残念ながら撮影禁止。
行く先々でイヤホンの案内を聞いたが、今ではほとんど忘れてしまった。写真やビデオを撮れないので記憶を呼び覚ますきっかけがない。
記憶に新しいところではウィリアム王子とキャサリンさんの結婚式もウェストミンスター寺院であったし、故ダイアナ妃の国葬も特別にここで行われた。

その後は市内を散策。2階建てバスにも乗ってみた。コヴェント・ガーデン近くのパブで昼食。
出発の時間が近づいたのでホテルに戻った。

 
ウェストミンスター・ブリッジ

ウェストミンスター・ブリッジ

 
赤い電話ボックス

赤い電話ボックス

イギリスは山が少なく平坦な土地だというのが印象だ。また、町によって建物の外壁の素材が独特で、行く先々で楽しめた。
今回の旅行はビデオと写真で動画を作るために、後からも資料を調べたりしたので思い出深い旅となった。